【読書録】The man who solved the market(最も賢い億万長者 上下巻)

概要とルネサンス・テクノロジーについて

  上巻の巻末付録にある通り、ルネサンス・テクノロジーズは2018年までの過去30年間の年間平均収益率が39%という、突出したパフォーマンスを誇るメダリオンの運用会社である。本書は、ジム・サイモンズがルネサンス(およびその前身となる会社)を設立し、メダリオンが傑出したパフォーマンスを上げるようになるまでの過程を描いている。

 パフォーマンスの数値以外の多くがベールに包まれているメダリオンの運用手法等についての情報を期待して本書を手に取ったものの、(当然ではあるが)それらについての具体的な内容についてはほぼ記載されていないと言える。

 しかし、彼らの運用が競合である運用会社やヘッジファンドなどの従来型の運用手法とは当初から一線を画していたことは本書を通じて描かれており、その驚異的なパフォーマンスの背後にあるものの一端を窺い知ることはできる。

 ルネサンス・テクノロジーズがいわゆる定量的アプローチによる運用が広く普及する以前からそれに取り組んできたことは広く知られている事実であるが、それに加えて、金融市場に対するアプローチそのものがその他大勢の市場参加者と大きく異なっていたことも強調されている。

 

市場に対する考え方

 多くの市場参加者は市場の効率性を信頼し、利用可能な情報は価格に織り込まれていると考え、将来の予測(特にコンセンサスの乖離を正しく的中させること)によって超過収益を創出できると考える。また、従来型のファンダメンタルズ投資家は直観や知識、経験に頼る。加えて、過去には企業トップや競合企業、供給元や顧客などから得る最新情報を用いた戦略も合法で有効な戦略であった。マクロ投資においては数学的方法を使った分析は過去にもあったものの、直観や知識がふんだんに混ぜ合わされるのが通常であった。そういった投資では数多くの取引ではなく、少数の取引に大きく賭けることで大きな収益を上げる形が主流であった。

 一方、ジム・サイモンズおよびルネサンスは、市場は必ずしも合理的ではないと捉えており、ランダムに見える動きの中に一定のパターンを発見し、そこから超過収益を得ることができると考えている。特に投資家は認知バイアスに流されやすく、パニックやバブル、ブームや不況を引き起こしかねないと考えた。収益を上げられる一因はそのような投資家の過ちや過剰反応にあって、同業トレーダーたちに共通する過ちに上手くつけ込むことに注力した。特に「ストレスが高いときの人間の行動が一番予測しやすい。直観的に行動してパニックになるからだ。人間という役者が以前の人間と同じように反応する」と考えているという。

 こうした考えに基づいて運用されてきたルネサンスの実績は、人間の行動が予測可能であることを示している。ルネサンスが過去データを分析しているのは、投資家たちが将来も似たような決定を下すだろうと比較的確信できるからである。それに合わせて科学的手法を武器に認知バイアスや感情バイアスと戦っている。理論を検証、評価、調整することで本能や直観でなくデータに導いてもらおうとしている。

 金融市場に影響を与えるファクターはほとんどの人が認識できるよりも数多くある。投資家はごく基本的なもののみに注目しがちで、見過ごしている要素は何十とあり、それらはいくつもの次元を持っている。ルネサンスは、これまで見過ごされてきた数学的関係性を含め重要な力をほかのほとんどの人よりも数多く認識している。加えて、純粋な株価の動きを予測することはなく、ある株価の動きと、ほかの株価や指標、ファクターモデルや業種全体の動きとずれを予測しようとしているにすぎない。ルネサンスは「収益報告などの経済ニュースが市場を動かすことは否定しない」ものの、「問題は、あまりにも多くの投資家がその手のニュースに注目し過ぎていて、彼らの運用成績がほぼ全て平均のすぐそばに集まっていること」と考えている。

 

シグナル発見のプロセス

 シグナルの見つけ方については、「過去の価格データの中に異常なパターンをみつけ」、「そのアノマリーが統計的に有意で、時間経過に関わらず、一貫していて、ランダムでないことを検証し」、「特定されたその価格の挙動を合理的な方法で説明できるかを見極める」と書かれている。

 このステップ自体は多くのクオンツ企業で採用されているものであるが、ルネサンスは3点目への態度で他のクオンツ企業と異なる。通常は原因を説明するための合理的な仮説を立てられないようなシグナルは無視されることが多いが、ルネサンスは時間の経過とともに「非直観的」、すなわち彼ら自身も完全には説明できないシグナルについても戦略に組み入れるようになっていったとされる。当初は直観的に理解できる平均回帰に賭けるような戦略の比重が大きかったものの、1997年時点ではそれが半分程度まで減少したとされている。

 しかし、理屈が通らない戦略には、そのパターンが無意味な偶然の一致に由来している可能性があった。ルネサンスではこうした問題に対処するため、少なくとも初めのうちはそのシグナルに割り当てる運用額に制限をかけておいて、そのアノマリーが現れる原因の解明に取り組むというアプローチをとったとされる。最終的には理屈にかなったシグナルと、統計的に強いが意外な取引、奇妙だが無視できないほど信頼性の高いいくつかのシグナルを組み合わせたところに落ち着いたという。

 

戦略の枠組み

 ルネサンスの株式モデルの構築においては、株価の騰落そのものではなく、一群の株式どうしの関係性や相対的な差に賭ける、というアプローチが採用された。具体的には、各銘柄の様々なファクターとの過去の分析し、その分析に基づく予想よりも上昇幅が小さい株を買うと同時に、上昇幅が大きすぎる銘柄を空売りするというものである。過去のデータでは完全に説明できない挙動を探し、その乖離は時間とともに解消されるだろうと仮定した。このアプローチにより、「株価が騰落どちらへ向かうかの予測」は不要になった。当初は各銘柄を平均で二日程度と、以前より少し長い程度であり、この平均回帰にかける戦略は10年以上にわたって中核をなしていた。

 2001年頃までには、非成立のものも含めた取引注文、各社の年間および四半期の収益報告、企業幹部による株式取引の記録、政府報告、経済予測や経済学の論文など、あらたな種類の情報の分析を始めたことで、収益が拡大。四半期の収益報告などはたいして活用できなかったが、アナリストの収益予測や各企業に対する見方の変化に関するデータはときに役立ったとされる。また、決算発表後の株式取引パターンを観察したり、企業のキャッシュフロー、研究開発費、株式発行などの要素を追跡したりするのも有用であることがわかった。

 ふつうの投資家は株式の騰落を予測する際には、企業利益や金利トレンド、経済動向、業界動向、株価収益率などの情報を予想しようとするが、ルネサンスでは、株価に影響を与える要因は他にも数多く存在し、中には容易に見つからないものや、ときには道理に合わないものもあるという結論に至った。そして、何百種類もの金融指標のほか、SNSへの投稿、ネット上を流れるデータ量の指標など、定量化して検証できるほぼあらゆるものを分析評価することで、ほとんどの人はぎりぎり理解できないようなものも含め、数々の新たな要因を見つけ出した。加えて、ルネサンスはそれらのあらゆる力の間に確実な数学的関係が存在すると結論付けた。ルネサンスのリサーチャーはデータサイエンスを応用することで、さまざまな要因がどんなときに関わってくるか、互いにどのように関連しているか、どのような頻度で株式に影響をおよぼすかを深く把握した。

 企業同士は複雑な形で互いに結び付いているため、そのような関係性は必ず存在する。その相互関連性をモデル化して精緻に予測するのが難しいし、刻々と変化する。ルネサンスのモデルはその相互関連性をモデル化して、その振る舞いを時々刻々と追跡し、価格がそれらのモデルから外れたと思われるときに賭ける。

 一方で、1998年のLTCM破綻が「トレーディングモデルを信用しすぎるな」というルネサンスのスローガンを裏付ける出来事となり、ルネサンスでは「どんな数式でも誤りを犯すことがある」という考えのもと、戦略が不調に陥ったり、市場の変動性が急上昇したりしたら自動的にポジションとリスクをさげる仕組みを導入している。実際に、クオンツの目的な感情や直観に頼るのを避けることであるものの、コンピュータやアルゴリズムやモデルに意思決定を託すというのは、たとえその方法論の考案者にとってもときには難しい。

 実際に戦略を実装する工夫として、取引頻度を上げて大数の法則を味方につけること、トレーディングシグナルが失われないようにするため、予測できないような形で取引を分散する執行戦略、期待リターンに応じてポジション量を変更するための機械学習的手法の活用などが描かれている。

 

トライ&エラー

 現在のスタイルに行き着く過程においては、定量的アプローチを離れ、従来型のアプローチに傾いた時期があったことや、「太陽の黒点や月の満ち欠けがトレーディングにおよぼす影響」を検討したこと、投資アイディアの創出のため、上級幹部が学術幹部を読み込んだものの、実際には多くの論文のアイディアが収益を生まなかったことなども描かれている。また、モデルが複雑になった際に、モデルの出力を直観的に理解することができず、戦略の実装に踏み切らなかったことなども描かれており、様々な試行錯誤、苦労の中で現在のプロセスに行き着いたことが示唆されている。

 実運用面では、コーディングミスによる戦略の不調が生じたということや、モデルの推奨取引が実現不可能なものであったため、モデルの想定に比べて実際の収益が少ないという問題が頻繁に起きたことなども描かれている。取引の制約条件については、考慮すべき制限や要件を単一のトレーディングシステムにプログラミングして、生じうる問題を全て自動的に考慮できるようにしたとされる。

 

ファンド規模の問題・新ファンド追加

 シモンズをはじめとするルネサンスの幹部はメダリオンの規模が大きくなりすぎないよう、注意していた。規模が拡大することで、収益源の一つである短期の様々なシグナルによる収益が損なわれることを危惧していた。一方で、長期の保有期間に焦点を絞ったアルゴリズムを開発できれば多額の収益を上げられるはずだと確信していた。そこでルネサンスは、投資対象の保有期間が1ヶ月以上となるような戦略を「ルネサンス・インスティテューショナル・エクイティーズ・ファンド」として立ち上げた。この戦略では株価収益率やバランスシートなどの情報に基づいて割安な証券を買うといった、もっとファンダメンタルな戦略も用いることにした。

 

従来型アクティブからクオンツの流れ

 アクティブ運用のファンドがライバルよりも有利な情報を活用できなくなってきている。ライバル投資家がいっさい把握していないような事実や指標を見つけ出すのはほぼほぼ不可能になっている。市場の公平性は増しており、きわめて洗練された「ファンダメンタル投資家」ですら強みを奪われている。そんな中で優位に立っているのは素早い行動をとる投資会社である。

 ヘッジファンドはこうした可能性を切り開こうと、新たな情報源を掘り起こすことを専門とする「データアナリスト」や「データハンター」と呼ばれる人材を雇い始めているという。かつてのように独創性と思考力でシグナルを見つけるという行き当たりばったりの戦略ではなく、機械学習エンジンに一連の数式を放り込むだけで何百万通りものシグナル候補を試せるようになっていきている。ノイズの多いデータから情報を取り出して正確なシグナルを発見するのは容易なことではない。扱うデータが絶えず変化しており、過去の価格データなどが比較的限られていることが定量的投資家が困難に直面する理由である。しかし、クオンツの普及によって、市場は安定性を増してきているという見方もある。人間は恐怖や欲望やパニックに陥りやすく、このいずれもが金融市場に変動性の種を蒔く傾向がある。